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2026年7月8日

「なぜ顕現が起こるのか?」と今でも不思議に思うことがあります。理想や意味や役割が「完成した形」として閉じてしまう前、まだ世界が一方向に固まる前の余白には、意図や計画では呼び出せない何かがふと立ち上がってしまう。
 その隙間に揺らぎ以前の関わりを参照するように風が吹き、閉じきらなかった場所に結果として残ってしまうのです。
 そこには作者の意思も、社会的な意味づけも、霊的な枠組みもありません。その瞬間、顕現は「起こそうとして起こるもの」ではなく、「起きてしまうもの」として現れます。
 意味を固定すると人は安心しますが、共感を経て次第に集合無意識に回収されていきます。
 世界は意味を求め過ぎて疲れてしまった。そんな時、集合無意識はいったん沈黙し、静けさの時間が訪れる。その静けさと重なるように顕現作品は共振し、説明されないものが呼吸を始めます。世界は評価や意味、認知を優先しますが、私はそこに乗っかかりたくない。集合無意識の外側にいたいんですね。
 城の石垣は隙間のない完成度を目指します。私はむしろ僅かな隙間を残したい。社会的には失格かも知れませんが、最近、幼少の頃からそうだったのではないかと感じています。         〈記事より抜粋〉

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