今号ではこの「顕神の夢」展に「顕神」したスサノヲの「像」(作品)を取り上げていきたい。筆頭展示は出口なお開祖の「お筆先」、その次が出口王仁三郎聖師の「巖上観音」の掛軸(観音はスサノヲの変容体でもある)、その隣が王仁三郎の書「おほもとすめおみかみ」、その向かいに耀怨「瑞雲」(「瑞雲」は「瑞雲」であるスサノヲ=出口王仁三郎を象徴し、「雲」は「八雲立つ出雲」を象徴しているとも解釈可能である)が展示されている。
続いて、大本に在籍したことのある岡本天明(1897~1963)、そして「神理研究会」創立者で雑誌「さすら」を主宰していた金井南龍(1917~1989)と続く。岡本天明は大正9年(1920)年に皇道大本の大幹部の浅野和三郎が社長を務める大正日日新聞社に入社し、大正14年(1925)に皇道大本が発行する機関紙の
岡本天明の「三貴神像」(1948年頃制作)が1点展示されている。「三貴神」とはイザナミの禊から成った天照大御神(左目から化成)、月読命(右目から化成)、須佐之男命(鼻から化成)の『古事記』に言う「三貴子(みはらしのうづのみこ)」であるが中央に大きく
描かれているのはスサノヲである。がこのスサノヲは特に『日本書紀』の冒頭に登場して来る最初の神の」で、国常立大神、特「に「素鳴大神(すさなるのおおかみ)とされる。『日月神示』と呼ばれた自動書紀を世に出した岡本天明は1948年にわずか30分でこの「三貴神像」を画いたという。「三貴神」とは日月と地球で、もちろん、日=太陽は天照大神、月は月読大神、そして地球が「国常立大神=素鳴大神」、つまり、スサノヲであるということになる。
また、金井南龍の作品は「高千穂と山王龍」「此の国」(いずれも1969年制作)、「富士諏訪木曽御嶽のウケヒ」(1986年制作)の三点で、その「此の国」には此の国を遥拝するスサノヲたちの後ろ姿が描かれている。ちなみに、幼児のスサノヲは黄色い上着と赤い吊りズボンを身に纏っている。その幼き「三貴子」の後ろ姿の中でも、ひときわ目立っているのがスサノヲで遥拝場の一番前に出ていることもそうであるが、赤い吊りズボンがいっそう哀感をそそる。
さて同ゾーン(「見神者たち」)の中で三輪洸旗(1961~)の画の中に「スサノヲ顕現」(2008年−制作)がある。この作品はには全体がほぼ真っ黒なので、不鮮明で不透明な幽冥感が漂っている。それは幽玄でもあるが幽冥でもあり、くぐもっている。兆しのような。画面真ん中にうっすらとうかびあがってくるモノ。それを三輪は「スサノヲ」とした。
図録『顕神の夢 −幻視の表現者』(顕神の夢実行委員会、2023年4月28日刊)の巻末に置かれた江尻潔の長編解説文「顕神の夢」には三輪が岡本天明の「三貴神像」を見た夜にこの絵を制作したことを次のように記している。「彼(三輪洸旗–引用者注)が岡本天明の《三貴神像》見た晩、制作準備のためシナベニヤに施した下塗りがおのずと「スサノヲ」の姿になったという。《三貴神像》の「素嗚大神」同様、赤子を抱いている。すでに十四年を経ているが、いまだに顕現し続けているという」
岡本天明にも、三輪洸旗にも、スサノヲが「顕神」した。わたしは、三輪洸旗の「スサノヲ顕現」を見た時に、スサノヲが「始祖鳥」に跨っているように視えた。その下にいるのは、岡本天明の「三貴神像」では龍である。だから三輪洸旗の「スサノヲ顕現」のそれも、スサノヲが跨っているのは龍である、ということもできる。
しかし、画像が持つ形態というモノはスペクタルな多面体でもある。それを「始祖鳥」だと視る者がいても、それを100%否定する根拠はない。多様な見方や解釈を許すことによってその絵はより豊穣なものとなる。芸術の力とはそのような鵺のような、キメラのような、スペクタルな多面体を蔵するところであるのではないか。
「スサノヲ顕現」 2008年〜 シナパネル、アクリル絵の具 43.6×45.2㎝ 三輪洸旗
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