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三輪洸旗 展 −チューリップの見た夢−

galleria ponte




植物が見る「夢」

江尻 潔(足利市立美術館 次長) 


植物は脳を持たない。脳を必要とせずこの世界に生きている。大地に根を張り、光合成により養分を得る。一方、動物は他者を捕食することで命を保つ。食物にありつくべく、動かなければならない。そこで脳が発達した。さらに人間は手を有する。脳と手の連動により自然に働きかけ環境を変化させた。人の欲望はとどまることなく自然を破壊し続ける。このままでは地球がいくつあっても足りない状況に陥る。これは自滅の道である。こうしてみると植物の方がよほど「賢い」。人類が滅びても植物は生き残るだろう。

 三輪洸旗は植物に対し、畏敬の念を抱く。植物への思いは木彫に表現される。チューリップの花の中にたたえられた樹脂は水を思わせ、数多の命を育んでいるように見える。これは、ひとつの世界であり、チューリップはそのまま「世界樹」となる。世界樹は生い育つ「場」を求める。三輪はチューリップの欲するままに「場」を描く。これはいわばチューリップに見せる「絵」なのだ。

 三輪はそれを「背景」と呼ぶ。「背景」は、具体的にいかなる意味を持っているのか。思うに植物は「場」の気に敏感に反応する。良い気のもとでは健やかに生育する。三輪の「背景」は色とりどりの山であったり、青く深い海であったりする。これらは特有の響き(気)を持っている。さらに注意したいのは、「背景」は人がまだ出現していない時の光景であることだ。宇宙から降り注ぐ光が鉱物として結晶し、山を形づくる。山から雲が湧き、雨をもたらし、海となり、海はやがて生まれる生命を予感する。それが、生物の繁栄を思わせる空色の巨木の幻となって現れている。そばには霊体である神獣もいる。これら原初的な段階にあってすでにチューリップを初めとする植物があったことを三輪は示す。山や海の気を一点に集めた根源の、初発の、生き物の象徴としてチューリップが表現されている。三輪は植物にとって理想的な「気」を描いている。

 ここで筆者は、描かれた「背景」は三輪が見た「夢」なのかもしれないと、ふと思う。考えてみれば眠りは人間が最も植物に近くなる状態である。起きているとき高い位置にある頭は、寝ているあいだ床と接している。このとき、脳は「根」の働きをなす。つまり「地」から発する気を吸収するのである。「地」とは文字通りその土地であるが、その人の魂が根づいている霊的な基盤とも考えられる。「地」から出る気は魂と命を活性化する。そのとき人は夢を見る。夢は気によってもたらされる「しるし」である。

 この文脈で考えるならば、植物も「夢」を見ていることになる。それは植物を取り巻く環境がもたらす「気」の「しるし」であり、そのまま植物の生育となって表れる。例えば、樹木はときとして龍のような姿になる。このとき樹木は龍の「夢」を見ている。人と植物は「夢」によって繋がりうる。だとすれば、人の「夢」は植物の「夢」に作用するのではないか。より具体的に言えば人の「夢=気」によって描かれた「背景」ひいては芸術は植物に作用する「気」となりうるということだ。三輪の作品は、その可能性を雄弁に語る。事実、このような働きが三輪の作品にあることを筆者は確信している。

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