個展を前にして

−分からないことの中を風に触れながら−
人は分からないことがあると、それを分かろうとする。
そして説明できるようになると、それを「分かったこと」として世界を捉えていく。
けれど、説明できたことと、世界そのものは同じではない。
この世界がどのように始まり、今に至ったのか。
時間は本当に過去から未来へ流れているだけなのか。
人間の認識の外側に何があるのか。
私には分からない。
けれど、分からないからといって、世界が止まっているわけではない。
世界は分からないまま、現在進行形で動いている。
だから私は、分からないものを無理に分かったことにしないことを大切にしたい。
人間の言葉や意味の枠組みに収まりきらないもの。
まだ名前を持たず、説明することもできないもの。
そうしたものとの間に、わずかな隙間を残しておく。
その隙間を通ってくるものを、私は「風」と感じている。
風は何か一つの答えや意思ではない。
人間が理解するより前から世界にある、さまざまな関わりや動きが隙間を通してこちら側に触れてくるようなものだ。
その正体を知る必要はない。
何のために吹いているのかを決める必要もない。
ただ、風に触れることはできる。
そして風が通ることで、直接には結びついていなかったものの間にも、思いがけない関わりが生まれ、そこに何かが顕れることがある。
作品も、そうなのだと思う。
《顕現》では、何か一つの意味を伝えるのではなく、さまざまな存在や状況が重なったまま現れてくる。
そして鑑賞者との関わりによって、その中から異なるものが顕れる。
何が顕れたのかを、作者にも完全には分からない。
だからこそ、その関わりを閉じないことが大切なのだと思う。
私自身の人生も、振り返ればそうだった。
望んだ方向へ一直線に進んできたわけではない。
思いもしなかった出来事を一つ一つ受け取り、細かなところまで広げながら進んできた。
そして後になって、過去の出来事が別の意味を持ち始めることもあった。
未来によって過去の位置が変わり、過去と未来が、私には分からないところでつながっているように感じることもある。
それが何なのかは、分からない。
でも、分からなくてもよい。
分からない。
でも、つながっている。
その間を、風が通っている。
私はこれからも、答えを手に入れることを目的にするのではなく、目の前の作品と自分に与えられた作業を丁寧にやっていく。
分からないものを尊重しながら、閉じずに進む。
風に触れ、その風が通る隙間を残しておく。
それだけで、分からないことは立ち止まる理由ではなくなる。
分からないままでも、世界と関わり続けることができる。
その関わりの中で何かが顕れる。
それが今の私にとって、世界とともに生きるということなのだと思う。
2026.9.11



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