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触れられないままの支点

  • 5月5日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月6日

どのような状況でも、言葉や理解に落ちる手前には、まだ形にならないわずかな余白があり、そこには別の流れが静かに通っているようにも感じる。

人間が五感や脳、魂といった働きを授かっているとすれば、その原型は、それらの領域の外側にあるのかもしれない。

一方でそれらの枠組みの中で世界を捉えようとすると、どれほど広がりを感じても、やがて一定の形に収まり、理解の連鎖の中で循環していく。

宇宙の広がりでさえ、捉えた瞬間にひとつの有限として扱われてしまう——そのようにも見える。

その在り方は、広がりながらも、どこか一点に収束していく。

まるでピンボールのような。


蟻は私たち人間の日常を知ることはできない。

同じ場にありながら、その広がりに触れる術を持たないからだ。

人間もまた、理解できるという感覚を持ちながら、五感や脳、あるいは魂といった働きを尽くしても、届かない領域があるのかもしれない。

そうした関係を重ねてみると、理解の枠組みの外側に、触れられないまま在るものの気配が見えてくる。


何かを理解し尽くすことや、明確な答えに到達することだけが重要なのではなく、その手前にある、まだ定まらない状態に触れていること自体に意味があるのかもしれない。

そこは掴もうとすると閉じ、捉えた瞬間に形を持ってしまう領域でもある。

完全に理解しようとせず、わずかに開いたままにしておくことで、固定されない流れとともに在ることができるように思う。

その在り方が、同じ連鎖に戻らないための、ひとつの静かな位置なのかもしれない。


2026.5.4


 
 
 

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